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NEW ALBUM
「LAST DAY ON THE EARTH」
AVCW-13029

3/7 ON SALE
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1.LAST DAY ON THE EARTH
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Profile
20年にわたるキャリアを通して、デュラン・デュランは様々な面で対照を見せてくれた良い例であり続けてきた。すなわち、彼らはメインストリームでの名声を追い求めたことはなかったにもかかわらず、商業的成功を収めたバンドであること。核の脅威(「プラネット・アース」)や搾取(「グラビアの美少女」)といったことをテーマにして歌いながらも、ビートルマニア級のファン層を確立したバンドであること。真実をより深く浮き上がらせるために逆説的手法でイメージを用いて、ファッションに徹底的にこだわったバンドであること。そして、繰り返されたメンバー・チェンジをものともせずに、デュラン・デュランは自分たちの使命に断固として忠実であり続け、制約にしばられない姿勢で音楽を作ってきたのである。同時代のバンドが姿を消していく一方で、デュラン・デュランは活気あふれる先鋭的な音楽を作り続けてきた。彼らの12枚目のアルバムとなる(そしてハリウッド・レコードからの初のリリースである)『ポップ・トラッシュ』は、デュラン・デュランの音楽に対して持ち得るどんな先入観をもくつがえす作品である。「このアルバムで俺たちはおそらく今までで最も率直な気持ちを表現している、それでいてタイトルは『ポップ・トラッシュ』(ポップの駄作)だからね」とフロントマンであるサイモン・ル・ボンは語る。「とは言っても、それが俺たち流の皮肉(逆説的手法)なんだけどね。」

『ポップ・トラッシュ』のテーマは、華やかなもの、あざやかなものに隠された真実を見極めることにある。印象的なアコースティック・ギターの音色を持つ、自分の人生から誰かを消し去ることの自由を歌うファースト・シングル「サムワンエルス・ナット・ミー」から、終末感漂わようロック色の濃い最後の曲「ラスト・デイ・オン・アース」に至るまで、テーマは実に幅広い。男女関係、絶望感、ポップ・カルチャー、そしてコントロールが効かなくなった社会、といった普遍的なテーマがデュラン・デュランの特徴的なひねりを加えて取り組まれている。ここにいるのは、やわなデュランでもなければ、手加減したデュランでもない・・・成長して内面に目を向け、未だに痛烈な視点を持つ抜け目のないデュランである。「僕が興味を抱いたのは結局どれも同じ分野にあるテーマだった。つまり(社会における)人間(存在)の状態、ということだよ」とデュランのキーボーディスト/プロデューサーのニック・ローズは語る。「様々なレベルの狂気と機能障害という問題さ。このアルバムは人間の行動を考察することが基本になっているんだ。」

1997年のアルバム『メダザランド』はデジタル時代の抱える諸問題に直面していたが、『ポップ・トラッシュ』はリスナーをよりパーソナルな探求の旅へといざなう作品に仕上がった。ギターを強調したサイケデリックな「ラーヴァ・ランプ」、豊かな厚みあるシンフォニックなサウンドの「ポップ・トラッシュ・ムービー」、ボウイ風の曲調を持つ「レディー・ザナックス」、そしてソウルフルな味付けの「ザ・サン・ダズント・シャイン・フォーエヴァー」といった曲をとおして、デュラン・デュランは自分たちの心の奥底を探り(そして「マーズ・ミート・ヴィーナス」では現実的な恋人募集広告を出している)、そこで見つけるものは何でも引き出している。ローズの説明によれば、「20年もたてば、少々の内省や反省は許されるものだよ。僕は決して郷愁にふけってるわけではない、そうでなくて、『ちょっと待てよ、僕は自分の人生で何をしてきたのだろう?僕のどこに居るのだろう?これは何だろう?』と言いたかったんだ。」アルバムの収録曲12曲でル・ボンとギタリスト/プロデューサーのウォーレン・ククルロ(彼らのプロダクション・チームは「TV マニア」と呼ばれている)と共に歌詞を手掛けているローズは『ポップ・トラッシュ』という音のパレットを生み出したのだ。ククルロは「俺たちはすぐれた楽曲を求めていた。アルバムを完成させていく中で、俺たちが今まで世に出してきた曲と比べても今回の収録曲は最高水準を誇れるものだと感じていた」とつけ加えた。

トレンドに便乗すること(たとえばヒップなDJやファッショナブルなゲスト・スターの参加)を拒否したデュラン・デュランは『ポップ・トラッシュ』でも 自分たちに忠実であり続けている。ロンドン(ククルロのホーム・スタジオ)で曲作りと録音は行なわれたが、ローズはこのアルバムで偽りのないテーマを描き出せたことをホームタウンでのアルバム制作のたまものだと言う。「良質のアートというものは、それが文章であれ絵画であれ音楽であれ、その目的は、時代を反映することにあり、人々に何か考えさせる何かをもたらすことにある。たぶん過去や未来にも少々目を向けるだろうが、基本的には現在自分たちを取巻いている物事を映し出すことにある。僕たちはロンドンでこそ何より最高の仕事が出来ると思う。」

1979年イギリスはバーミンガムで結成されたデュラン・デュランは常に自分たちの道を歩んできた。活気あふれるニューヨーク・ミュージック・シーン(ニューヨーク・ドールズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)、ロキシー・ミュージック、デヴィッド・ボウイそしてソウル・ミュージックに同等に触発され影響を受けた彼らは、1980年代初頭の「第二期ブリティッシュ・インヴェイジョン」で勝利を収めた王者的存在だった。巧妙に練り上げられたポップ・ソングが収録された1980年のセルフ・タイトルのデビュー・アルバムをリリースした時、その収録曲「プラネット・アース」で12インチ・リミックスに挑んだ最初のロック・バンドとして、また物議をかもした「グラビアの美少女」のエクステンデッド・ビデオの制作をするなど、新境地を開くことになったのである。

マルチ・プラチナ・アルバムとなった1982年の2作目『リオ』に収録された「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」や「リオ」といった名曲から、機知に富んだセンスで作ったビデオの持つパワーは、ビデオの存在をより映画的なレベルに押し上げる役目を果した。それらのビデオはデュラン・デュランを当時頭角を表わしつつあったMTVの寵児に仕立て上げた。彼らのファッショナブルな身なりや髪型といったイメージに拒絶反応を示す評論家もいたかもしれないが、デュラン・デュランは彼らの友人のアンディ・ウォーホール同様(彼のコンセプトは新作の「ポップ・トラッシュ・ムーヴィー」で異彩を放っている)、自分たちのアートを完璧に管理していた。「レコード会社に出向いてこんなことを伝える、『僕たちはこのアルバム・アートワークにはこれこれのデザイン会社に頼みたいし、写真はこのカメラマンを使いたいし、洋服はアントニー・プライスの店で買いたいと思ってるから』ってね。レコード会社の人間にはとても信じがたいことだった」とローズは当時を思い起こす。「彼らにしてみれば、『一体全体これはどういうことだ?』って感じだったよ。」

1980年代はさらなる名声と変化をもたらした。1984年のアルバム『セヴン&ザ・ラグド・タイガー』からバンドにとって初のUSナンバー・ワン・シングル「リフレックス」が生まれた。ローリング・ストーン誌は彼らを「ザ・ファブ・ファイヴ」と称した。様式化されたビデオはグラミー賞を獲得。ジェイムス・ボンド映画「007/美しき獲物たち」で使用された彼らの曲はボンド映画のテーマ曲で唯一ナンバー・ワンになる快挙をとげた。1986年、オリジナル・メンバーのロジャー・テイラーとアンディ・テイラーがグループを脱退したが、元ミッシング・パーソンズとフランク・ザッパ・バンドのメンバーであるウォーレン・ククルロが新しいギタリストとして加入した。同年、デュランは『ノトーリアス』をリリースし、ファンキーな側面を披露した(最近、ショーン・パフィ・コムズがこのアルバムのタイトル・トラックのサンプルをノトーリアスB.I.G.の死後に出た『Born Again』で使用した)。

1990年代になっても活躍は相変わらずで、実り多き時が続いた。1991年の休止を経て、翌年には『ウェディング・アルバム』でカムバック、この7枚目のアルバムは途方もない成功を収め、シングル「オーディナリー・ワールド」と「カム・アンダーン」はチャートをかけのぼった。1993年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムでスターの仲間入りを果し、ポップ・カルチャーの歴史においてふさわしい評価を得るまでに至った。自分たちの音楽的ヒーロー(イギー・ポップ、レッド・ツェッぺリン、ルー・リード)に敬意を表するために、デュランは1995年にトリビュート・アルバム『サンキュー』をリリースし、さらには、アメリカのTV番組「レイト・ショウ・ウィズ・デイヴィッド・レターメン」ではヒップ・ホップの大御所グランドマスター・フラッシュ、メル・メル、そしてフューリアス・ファイヴと共演して、ヒップ・ホップのヒット「ホワイト・ラインズ」を彼らの独創的なヴァージョンで披露した。1996年には、「ボスニアン・ウォー・チャイルド」(ボスニア内戦の戦争孤児等を助けるボランティア機関)のためにルチアーノ・パヴァロッティが開いたチャリティ・イベントにオールスター・ラインナップのひとりとしてル・ボンが参加した。「超現実という言葉しか浮かばない」と彼はこのイベントについて笑いながら語った。1996年、約20年という歳月を共に過ごした後、べーシストのジョン・テイラーがソロ・キャリアの追求のためにグループから友好的に去っていった。

デュラン・デュランはミュージック・シーンにとどまり続けるだけの目的でアルバムを次から次へと作り出すようなまやかしに乗じたことは決してない。「多くのバンドが持っていないものが時間だよ、彼らは監視され急き立てられているのだから」とル・ボンは語る。

「俺たちはそういった企業の流れ作業的アプローチからは足を洗ったよ。アルバムを毎年毎年作るようなことはしない、でも作る時は、本当に意味のあることを伝えている作品になる。」とル・ボン。さらにククルロがつけ加えた。「俺がギターを手にするのは、プレイするのが大好きだからであり、曲作りをするのが大好きだからだ。そしてそこから何か魔法のようなものが生まれてきたら、それはすばらしい。そうしたら皆で集まって、やるべきことをやるまでだよ。」

20年間音楽を作る経験を積んできたデュラン・デュランだが、今後も自分たちの信念については何にも屈しないだろう。そして『ポップ・トラッシュ』もその伝統を引き継いでいる。「僕たちは山の頂上にいたかと思えば、下まで落ちたり、そしてまた上に戻って、という感じでやってきたよ」とローズは語る。「でもそれが、僕にとっては、実に興味深いことだ。このバンドを始めた最初の時から、その出発時点から、僕たちは本心でやってきた。どれだけ抽象的な曲でも、どれだけ摩訶不思議な歌詞であっても、すべてが僕たちのどこか心の内側から生まれてきたものだ、技巧を弄して作り出した曲など今まで一度もない。いつも自分たちそのものを表現してきたんだ。」

2001年3月に大阪にオープンする大型テーマパーク、“ユニバーサル・スタジオ・ジャパン”のプロモーションソングとして、アルバム『ポップ・トラッシュ』より「ラスト・デイ・オン・アース」が選ばれる。

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