Sonia Rosa avex cas official website

HISTORY

sonia rosaソニア・ローザはブラジル出身。伝説の競馬騎手として今もなお人々の尊敬を受ける国民的英雄Olava Rosaの娘としてサンパウロにて誕生する。
本名Sonia Angelica de Carvalho Rosa(ソニア・アンジェリカ・ジ・カルバーニョ・ローザ)は、当時も人気を博していたブラジリアン・フォーク(violeiro)シンガーである祖父、Bras Orestes de Carvalhoや母親Angelica Carvalho、その他音楽的才能あふれる叔父や叔母に囲まれ、幼少の頃より常に音楽のある環境に育つ。

そして14歳の頃、Sao Paulo city society在籍中に、アコースティック・ギターと共に作曲を始めてすぐにその頭角を現し、独学で習得した彼女のボサノヴァ・ギターはファンの心を捉え、たちまち並み居るブラジリアン・ミュージシャンの仲間入りを果たす。
17歳になり、当時絶大な人気を誇っていたラジオ番組"Pica-Pau"でホストを務めていたサンバ・ギターの名手、Geraldo Cunhaと共にサンパウロのナイトクラブ"Fuga Bar"でメイン・ボーカリストとして活動。

そのパフォーマンスが各方面で反響を呼び、ブラジルで一番人気が高かったラジオ・ショーAlfredo Borbaに**され、初のラジオ・ライブを行う。引く手あまたの新人歌手であったソニアは1986年、コンチネンタル・レコードと契約を結び、"A Bossa Rosa de Sonia"を発表。Chiquinho de Moraes等の当時のベストミュージシャンによる演奏で、ブラジリアン・スタンダードと彼女の作曲によるオリジナルを収録したこのデビュー・アルバムは40年経った今でもリイシューされ続ける名盤となった。すべて1テイク、オーバーダブなしのライブ・レコーディングで行われたその1枚はブラジリアン・ミュージック界の新たな扉を開いた金字塔として、ブラジルでもボサノヴァ・ミュージックのルーツとして認知される。
そしてソニアはMilton Nascimento、Chico Buarque、Caetano Veloso、Gilberto Gilと共にブラジリアン・ミュージックのパイオニアとして人々に愛されることとなり、若干18歳にしてWilson Simonal、Elis Reginaや当時のブラジリアン・のルーツとして認知される。
そしてソニアはMilton Nascimento、Chico Buarque、Caetano Veloso、Gilberto Gilと共にブラジリアン・ミュージックのパイオニアとして人々に愛されることとなり、若干18歳にしてWilson Simonal、Elis Reginaや当時のブラジリアン・ポップスター、Robert Carlos等と精力的にアーティスト活動を行うようになる。
その後、Elis ReginaとJair Rodriguesがホストを務める"O Fino da Bossa"や、"Wilson Simonal Show"などのテレビ・ライブ・ショーに出演することになる。
ちなみにその時の"Wilson Simonal Show"で当時新進気鋭のアレンジャー・ピアノ・プレイヤーとして彼女をサポートしていたのがCesar Camargo Marianoである。
それから暫くして、Rio De Janeiro International Music Festival用に書き下ろした彼女のオリジナル曲、"Mas N?o D?"が日本の音楽関係者の耳に止まり、日本のレコード会社から専属のアーティストとしての契約のオファーを受ける。
そしてそれが彼女の新たな長い旅路の始まりとなった。

日本での活動を始めたソニアは東芝レコードより"青いベッド"、"モーニング・コーヒー"のカップリング・シングルで日本のミュージック・シーンにセンセーショナルなデビューを果たす。
これらの曲はTVドラマのタイトル・ソングとしても使われ、日本初の本格派ボサノヴァ・ミュージックとして多くの人々に愛聴されている。
その後、渡辺貞夫氏がバックに参加した"Sensitive Sound Of Sonia"や、大野雄二氏プロデュースによる"Spiced With Brazil"などを含め計30枚以上もの作品を発表。
その多くは現在再発売されているが、レアな音源についてはいまだにネット・オークション等で高値で取引されている。
一本のギターとそのキュートな歌声で、ボサノヴァ・ミュージックの基礎を築いたソニア・ローザ。
まさに日本のボザノヴァ・ミュージックの歴史は彼女の来日と共に始まったと言っても過言ではない。
第二の故郷、日本でソニアはその後の人生を歩むことになる。ちなみに彼女の第一子、DJ TAROは現在、ミュージック・プロデューサーとして数多くの楽曲制作に励む傍ら、人気ラジオDJとしてJ-WAVE等を中心に活躍している。
今までも彼女のパフォーマーとしての復活を望む声は数多く寄せられたが、二人の子供を自らの手で立派に育て上げたいソニアは頑として首を立てに振らなかった。
そのソニアが十数年の沈黙を破り、ミュージック・シーンの第一線に復帰する意思を固めるきっかけとなったのが今回のアルバム・プロジェクトである。

今年の初めに東京在住のブラジル人プロデューサー、Marco Boscoにより企画されたソニア・ローザのリバイバル・アルバム"Depois Do Nosso Tempo"はブラジリアン・ミュージックの第一人者を集めたワールド・クラスの作品として注目を集めている。
本アルバムのベーシック・レコーディングはハワイ、ホノルルのレコーディング・スタジオで進められた。"Elis & Tom"などのプロデューサーとして知られるブラジリアン・ミュージック・シーンでも最も重要なピアノ・プレーヤー、Cesar Camargo Marianoのアレンジによる珠玉の曲達が、Romeo Lubambo(アコースティック&エレクトリックギター)、Sergio Brand?o(ベース)、Mark Walker(ドラムス)、そしてMarco Bosco(パーカッション)等の超一流ミュージシャンによって魔法がかけられ、最高のグルーブが紡ぎだされていく。
次にレコーディング・プロジェクトはその地をロサンゼルスに移す。
そこではボサノヴァの生きた伝説としてその名を轟かせているマエストロ、Oscar Castro Nevesのコンダクトによる25人ものオーケストラがアルバムに華を添えている。
文字通りボサノヴァ・ミュージックを発明したことで知られるOscar(彼が16歳の頃にボサノヴァ・スタイルの楽曲を初めて作曲した)はソニアの旧友でもあり、今回のアルバムで自身作曲による楽曲を一曲提供するとともに、歌手として競演も果たしている。他にもグラミー・アーティスト、Ivan Linsが彼の楽曲と共にデュオ参加していることや、Gary Meekがフルート&サックス、クラリネットでゲスト参加しているところだけを見ても、本アルバムのクオリティーの高さが伺い知れる。
エンジニアはSergio Mendesなどを手がけたCarlos Yutaka、ミキサーとしてGeoff Gilette、マスタリング・エンジニアはあのBernie Grundman自らが手がける。
以上のことから本アルバムの生粋の本格派ボサノヴァ・アルバムとしての完成度の高さを感じられる筈であるが、ただ伝統を継承していくことに拘らず、新しい才能との融合を図っている事実も特筆すべき点である。
具体的には国民的スター、Wilson Simonal の息子であるWilson Simoninhaが7曲オリジナル楽曲を提供している他、同じく世界的有名シンガー、Jair Rodriguesの息子、Jair Oliveiraも彼の自信作を2曲提供している。
こういったこれからのブラジリアン・ミュージック・シーンを牽引していくアーティストと世代を超えてセッション出来ることがこの音楽スタイルの醍醐味の一つであろう。その他の作曲陣としてはIvan Linsのパートナー、Celso Vi?foraや、サンバ・ミュージックの第一人者、Frankye Arduini、Paulo Cesar Pinheiro と共に活動する作詞・作曲家、Vicente Barretoなど妥協を許さない布陣だ。
"Beyond Our Time(Depois Do Nosso Tempoの英語訳)"は超一流のブラジリアン・ミュージシャン達の情熱を、ソニア・ローザの愛で包んだ最高の一枚に仕上がった。
これで世界は彼女を伝説で終わらない、今も常にスタイリッシュなボサノヴァ・ディーヴァで在り続けることを改めて知ることになるだろう。

まさに永遠のボサノヴァ・クイーンである!